全訳詩歌447 |||| | |
447 神を経験する ― 三一によって | EXPERIENCE OF GOD − By the Trinity |
詩歌全訳447番
1.何という奥義でしょう。父,子,霊はひとりの神です!
パースンは三ですが,本質は一つ霊です。
何という栄光でしょう。この神はわたしの心に入り,
わたしの中で,わたしのすべての供給となられます。
(復)
三一の神は,わたしのすべてとなられます!
何という不思議でしょう! 何という栄光でしょう!
神聖な成分に,わたしは無限にあずかることができます!
何と卓越していることでしょう! 何とすばらしいことでしょう!
2.何という豊富でしょう。父はすべての源です。
彼のすべては人に享受させるためです。
何という祝福でしょう。これらすべてはわたしのものとなり,
尽きず絶えることなく,永遠に至るまであずかることができます!
3.何という不思議でしょう。子は父の現れであり,
肉体を通して人と共に住まわれます。
何という効果でしょう。十字架において贖いを成就し,
わたしのような罪人を神に結合させてくださいました!
4.何と麗しいことでしょう。霊は子の入ることであり,
わたしの霊に入り,わたしの命の供給となられました。
何とすばらしいことでしょう。わたしは今,霊に触れることができ,
霊と霊が呼応し合い,二つ霊は一つ霊となります。
5.何という実際でしょう。神のすべては霊の中にあります。
霊として霊の中でわたしに触れさせ,経験させます。
何という驚異でしょう。わたしは神に結合されて一となり,
命と性質は神と少しも異なることがありません。
詩歌全訳447番 作詞:ウィットネス・リー
宇宙は一つの奥義です。それには創造の源、意味、目的が隠されています。この奥義の中心に神ご自身がおられます。ウイットネス・リー兄弟によって書かれたこの詩歌は、「大いなるみ神よ」の曲に乗せて、神の奥義と神の永遠のご目的の奥義を明らかにし表現しています。1節は、聖書に表されている三一の神、父、子、霊の奥義を宣言しています。パースンにおいて神は三です。本質において、この三は三一です。これは、マタイによる福音書第28章19節において、主イエスが宣言された新約聖書のユニークな啓示です。「だから、行って、すべての国民を弟子とし、父と子と聖霊の名の中へと彼らをバプテスマして」。一つの名があります。しかし、その名は、神聖な三一の三パースン全体を包含しています。
1節は、神の永遠のご計画を宣言しています。「何という栄光でしょう。この神はわたしの心に入り、(御子にある、その霊を通して)わたしたちのすべてとなられます」。三一における神のご計画は、人の中に入って、わたしたちのすべてとなることです。おりかえしは、誇らしげにほめたたえています。「三一の神は、わたしたちのすべてとなられます」。何という不思議でしょう。何という栄光でしょう。人知をはるかに超えた神の力と尽きない栄光の奥義である神は、今や経験において、わたしたちのすべてとなっています。
2節、3節、4節で、この三一の神、父、子、霊は、どのようにしてご自身をわたしたちに分与し、神がわたしたちの無尽蔵の供給と享受となり、彼の永遠のご計画を遂行し、完成されたかを明らかにしています。父は豊かな源であり、創始の基礎です。永遠の神たる方にあるこの広大な供給源は、すべてこの源から出て来るのです。御父は、ご自分が理解されず、見ることのできない奥義的な状態のままでいることを願われません。神はわたしたちがこの無限の分け前を享受し、用いることを願っておられます。しかし、近づきがたい光の中に住んでおられる父なる神(Iテモテ6:16)が、どのように創造した人、堕落した人に近づき、人が享受できるようになられるのでしょうか?神は御子にあって具体化されました。すなわち、御子は、肉体の中で来て、人と共に住み、「完全に有効な」贖いを完成されたので、罪人は彼との一にもたらされるようになりました。神の奥義である御子キリスト(コロサイ2:2)を通して、神は人に近づくことができるようになりました。贖いの十字架を通して、御子は、わたしたちを神に和解させてくださいました。そのことにより、わたしたちを神と一つにし、神に近づけるようにしてくださいました(エペソ2:16−18)。しかし、神を人の中に分与するということは、御子によって完成されたのではありません。「御子が姿を変え」その霊として来る必要があります。そして完全な供給となられます。「姿を変える」とは、御子が復活の中で今やその霊となられたこと(Iコリント15:45. IIコリント3:17)を意味します。再生する霊として、三一の神は彼の選び、贖われた民の中にご自身を命として分与されます。わたしたちは、人の霊の中で、その霊から生まれました(ヨハネ3:6. ローマ8:16)。そして、わたしたちの霊と神の霊は一つ霊です(Iコリント6:17)。かつて遠く離れていたわたしたちは、キリストの血によって神に近づけられただけでなく(エペソ2:13)、その霊と結合されて、霊の中で神の住まいとなっています(22節)。
最後の節では、啓示された神の実際が確証されています。その神は、わたしたちが今や知ることができ、日々の生活の中で経験できる方です。御父から、御子にあって、その霊を通して、神聖な分与の手順を経た三一の神は、今や彼の選び、贖われ、再生された信者たちと一となられました。わたしたちは神聖な奥義の一部となりました。今や、父と子とその霊であるご自身を啓示された三一の神とわたしたちは「命においては少しの差もありません。」何と卓越して、すばらしいことでしょう!
(ガリー・カイザー「詩歌 三一の神を経験する」,肯定と否定第二号『三一の神を経験する』,113-114)
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