命の霊の法則によって勝利を得る生活をする
標 語:
命の霊の法則は,キリスト・イエスの中で,罪と死の法則から,わたしを解放しました。
肉に付けた思いは死ですが,霊に付けた思いは命と平安です。
律法の義の要求は,霊にしたがって歩くわたしたちにおいて,満たされます。
神はわたしたちを,御子のかたちに同形化しようと,あらかじめ定めました。それは,御子が多くの兄弟たちの間で長子となるためです。
1. 命の霊の法則――勝利を得る生活をするかぎ
聖書:ローマ7:15―8:2, 4, 6
一. 主は彼の信者たちがすべて勝利者になること,正常なクリスチャン生活をしてキリストの花嫁となることを願っています――啓2:7.ピリピ1:19-21前半.3:8-14.IIコリント3:3, 6.コロサイ1:10.啓19:7-9。
二. 勝利者になるかぎは,ローマ第8章にある命の霊の法則です。この章は,真剣に追い求める者のための章です――ローマ7:24-25.8:1-2,28-29:
A. ローマ第7章は,「肉の中」にいる経験です。ローマ第8章は,「霊の中」にいる経験です(この霊は,神の霊がわたしたちの人の霊の中に住み,二つ霊がミングリングされて一つ霊となった霊です)――4, 9-10, 16節.Iコリント6:17.IIテモテ4:22。
B. ローマ第8章の命の霊の法則を享受することは,わたしたちをローマ第12章のキリストのからだの実際の中にもたらします。わたしたちがからだの中で,からだのために生きる時,この法則は内側で活動します――8:2, 28-29.12:1-2, 11.ピリピ1:19。
三. 内住のキリストを命の霊の法則として経験するためには,ローマ第7章と第8章の三つの命と四つの法則を見る必要があります:
A. 創造された人の命と善の法則は,わたしたちの魂の中にあります。この法則は天然の人の命から,すなわち,人自身から出ています――7:21-23.創1:31.伝7:29中。
B. 悪のサタン的な命と罪と死の法則は,わたしたちの肉の中にあります。この法則はサタンから,すなわち,信者の肉の中に住んでいる罪から出ています――ローマ6:6.7:15-20, 23-24.Iヨハネ3:10.ヨハネ8:44.マタイ13:38.3:7.23:33.ローマ3:13。
C. 非受造の神聖な命と命の霊の法則は,わたしたちの人の霊の中にあります。この法則は神から,すなわち,人の霊の中に住んでいるその霊から出ています――8:2, 10, 16.ヨハネ1:4.10:10後半.14:6前半.Iコリント15:45後半。
D. この三者と三つの法則が,今や信者の中にあります。それは,この三者(神,人,サタン)がエデンの園にいたのとほとんど同じです(創第3章)。
E. 信者の中のこの三つの法則に加えて,神の律法(法則)が信者の外にあります――ローマ7:22, 25。
四. ローマ第8章の主題は,命の霊の法則です:
A. すべての命には法則があり,命は法則でさえあります。神の命は最高の命であり,この命の法則は最高の法則です――参照, ヨハネ1:4-5.12:24.14:6前半.10:10後半.Iコリント15:45後半。
B. 三一の神は受肉,十字架,復活,昇天の手順を経過して,命の霊の法則となり,「科学的」な法則,自動的な原理として,わたしたちの霊の中に有機的に設置されました――ローマ8:2-3, 11, 34, 16。
C. 命の霊の法則は,神聖な命の自発的な力です。それは神聖な命の自然な特性であり,本来備わっている,自動的な機能です――8:2.ピリピ2:13.エゼキエル36:26-27.参照, 箴30:18-19前半.イザヤ40:28-31.ヘブル12:2前半.ピリピ4:13.コロサイ1:28-29。
D. わたしたちが主と接触し続け,主との接触の中にとどまっている時,命の霊の法則は自動的に,自然に,たやすく働きます:
1. わたしたちは自分の奮闘や努力をやめる必要があります――ガラテヤ2:20前半.ローマ7:15-20:
a. もしわたしたちが,罪が法則であること,わたしたちの意志が決してこの法則に打ち勝つことができないことを見たことがないなら,ローマ第7章のわなに落ち込んでおり,決してローマ第8章に到達しません。
b. パウロは何度も志を立てましたが,その結果は失敗の繰り返しでした。人ができることはせいぜい,決心することです――7:18.参照, マタイ26:41
c. 罪がわたしたちの中で潜伏している時,罪にすぎませんが,わたしたちが善をしようと欲することによって目覚める時,それは「悪」になります――「そこでわたしは,善をしようと欲しているわたしに,悪が共にあるという法則を見いだします」――ローマ7:21
d. わたしたちは志を立てるのではなく,思いを霊に付け,霊にしたがって歩くべきです――8:6, 4.ピリピ2:13.参照, Iヨハネ5:4, 18.ヨハネ3:6。
2. わたしたちは祈りによって,また依存する霊によって,内住する,設置された,自動的な,内側で活動する神と協力し,こうして命の主,また働きの主との交わりを維持する必要があります――Iテサロニケ5:17.エペソ6:17-18。
3. わたしたちは霊の中の命の感覚を顧みて,命の交わり,すなわち神聖な命の流れの中にとどまり,命の霊の法則に活動していただく必要があります――ローマ8:6, 16.Iヨハネ1:2-3, 6-7:
a. 命の感覚は,消極的な面で,死の感覚です。死の感覚は弱さ,むなしさ,不適,不安,憂うつ,渇き,暗やみ,痛みなどです――ローマ8:6前半。
b. 命の感覚は,積極的な面で,命と平安の感覚です。命の感覚は強さ,満足,平安,安息,解放,活発さ,潤い,明るさ,慰めなどです――6節後半。
c. 命の感覚は,神の命にしたがった良心の感覚と関係があります――エペソ4:19。
4. 霊は神の命と接触する器官です。心は,神の命がわたしたちの中に分与され,わたしたちの中で自由に活動するようにするかぎ,スイッチ,戦略地点です――詩78:8.箴4:23.エゼキエル36:26.エペソ3:17.参照, エゼキエル14:3:
a. 神はわたしたちの心が柔らかいことを願っています――IIコリント3:3, 16, 18。
b. 神はわたしたちの心が純粋であることを願っています――マタイ5:8。
c. 神はわたしたちの心が愛することを願っています――マルコ12:30。
d. 神はわたしたちの心が平安であることを願っています――使徒24:16。
E. キリストのからだの中でのわたしたちの生活と奉仕のすべてのかぎは,わたしたちの内側で活動する命の霊の法則です:
1. 神格においてではなく,命,性質,表現においてわたしたちを神とし,神の長子のかたちに形成して,ご自身の団体の表現とならせる――ローマ8:2, 29。
2. わたしたちをキリストのからだの肢体に構成し,あらゆる種類の機能を持たせる――エペソ4:11-12, 16。
2. 肉と霊
聖書:ローマ6:6.7:17-20, 24-25.8:2-13
一. わたしたちの霊の中の命の霊の法則によって生きるためには,肉が何であるかを見なければなりません――参照, ローマ8:6, 13:
A. 肉は,腐敗し,汚れ,変質した体です:
1. 人の体は本来は純粋でしたが,人の堕落によって,サタンは自分自身を人の中に注入し,人の体は肉になりました――創3:6.ローマ7:18前半。
2. わたしたちの体は「罪の体」(6:6),また「この死の体」(7:24)です。罪の体は神に対して罪を犯すことで,とても活発で力に満ちています。この死の体は神を喜ばせることで,弱く無能です(18節)。
3. わたしたちがまだ生きている限り,わたしたちの贖いの日まで,罪と死の体は常にわたしたちと共にあります――参照, 8:23。
4. 「肉」という言葉はまた,わたしたちの堕落した全存在を指しています。人は完全に肉です。なぜなら,堕落した人は今日,堕落した肉の管轄の下にあるからです――3:20.創6:3前半。
5. 肉は罪,死,サタンの「集合場所」です。肉は絶望的な状態であり,決して改善されることはできません――ローマ7:17-18, 21.参照, ヨハネ17:15:
a. 肉は神に敵対します。
b. 肉は神の律法に服従しません。
c. 肉は神の律法に服従することができません――ローマ8:7。
d. 肉は決して神を喜ばせることができません――8節。
B. 罪はわたしたちの肉の中のサタンそのものです:
1. 罪はわたしたちを欺き,殺し(7:11),わたしたちを支配し,すなわち,わたしたちの上に主権を持ち(6:12, 14),わたしたちの意志に反して事を行なわせることができます(7:17, 20)。このすべての活動は,罪が生きたパースンであることを見せています。
2. 罪は,邪悪な者であるサタンの邪悪な性質です。サタンはアダムの堕落を通して,自分自身を人の中に注入し,今や罪の性質となって,堕落した人の中に住み,行動し,働いています――参照, マタイ16:22-23。
3. ガラテヤ第2章20節でパウロは言いました,「生きているのはもはやわたしではありません.キリストがわたしの中に生きておられるのです」。ローマ第7章17節で彼は言いました,「もはやわたしではなく,わたしの中に住んでいる罪です」。これは,罪がわたしたちの内側でもう一人のパースンであることを見せています。
4. わたしたちの肉の中には善なるものが住んでいません。なぜなら,肉は罪としてのサタンによって,完全に所有され,占有されているからです――18節前半。
二. 神はご自身のエコノミーのために,彼の知恵と主権ある案配の中で,わたしたちの罪深い,醜い肉を用いて,わたしたちを強いて霊に向けさせ,わたしたちが命の霊の法則によって生き,その霊をさらに得るようにします――8:2:
A. わたしたちは霊の中にいるか,それとも肉の中にいるかです。わたしたちがいるべき第三の場所はありません――4-13節。
B. 法理的に言えば,サタンもわたしたちの肉も,一度で永遠に十字架上で罪定めされました(8:3.ヨハネ3:14.ヘブル2:14.IIコリント5:21)。しかし神は肉をとどまらせて,わたしたちを助け,強いて霊の中のキリストに向かわせ,もはや肉に信頼しないようにさせます(ピリピ3:3):
1. 罪深く,醜い肉によって与えられる助けがなければ,わたしたちは真剣になって主を得ようとせず,主に内側に造り込んでいただこうとしないでしょう。
2. わたしたちの目標は聖,霊的であること,勝利であるかもしれませんが,神の目標はご自身をわたしたちの中に造り込むことです。しばしば,わたしたちは困難な状況にある時,さらに主に開き,さらに進んで主に向こうとし,さらに進んで主にご自身を内側に造り込んでいただこうとします――ローマ8:28-29。
3. わたしたちの困難,欠点,失敗,失望は,わたしたちを強いて,肉には望みがないことを認識させます。肉が役立つのは,ただわたしたちを霊の中のキリストに向かわせることであって,真剣に霊の中に入らせ,目を覚まして霊の中にとどまるようにさせます――マタイ26:41.エペソ6:17-18。
4. 主はわたしたちが勝利を得ているかどうかに注意するのではありません。主はただ一つの事,すなわち,わたしたちがその霊としてのキリストを得ることに注意します――ピリピ3:8.IIコリント3:18。
三. 今日わたしたちは一つの事,すなわち,霊にしたがって歩くことに注意を払う必要があります――ローマ8:4:
A. わたしたちの肉は複合のものであり,罪,死,サタンと複合されています。わたしたちの霊も複合のものであり,キリスト,その霊,恵みと複合されています――IIテモテ4:22.ローマ8:16.ガラテヤ6:18。
B. 神は,わたしたちがこのすばらしい複合の霊にしたがって歩く(霊にしたがって存在し,生活し,すべてのことを言い,行なう)ことを願っています――ローマ8:4.ピリピ1:19.Iコリント6:17.参照, 出30:23-25。
C. 霊にしたがって歩く人だけが,地方召会を建造するための正常な肢体になることができます。もしそのような歩みがないなら,わたしたちは遅かれ早かれ自分がいる地方召会の問題となるでしょう――ガラテヤ5:16-26。
D. 神はご自身の目的のために人の霊を守りました――ゼカリヤ12:1.創2:7.箴20:27:
1. わたしたちの霊は今日,真のベテル,神の家であり,天の門でもあります。わたしたちは霊に戻る時,第三の天にいます――エペソ2:22.創28:12, 17, 19。
2. わたしたちは霊の中にいる時,至聖所にいて恵みの御座に触れ,キリストによって維持されて地上で天の生活をします――ヘブル10:22前半.4:16。
3. 霊の中でわたしたちはこの世に打ち勝つことができ,悪しき者はわたしたちに触れることはできません。サタンに打ち勝つ唯一の道は,わたしたちの再生された霊という高い所にとどまることです――Iヨハネ5:4, 18.ヨハネ3:6.14:30。
4. わたしたちの霊はいと高き方の秘密の場所であり,そこにおいてわたしたちは命としてのキリストを享受し,命において成長し,からだの実際を経験します――詩91:1.マタイ6:6。
5. 命を与える霊であるキリストが,ご自身を命としてわたしたちの霊の中に分与するので,わたしたちの霊は命です(ギリシャ語は「ゾーエ(zoe)」)――ローマ8:10。
6. わたしたちの霊は一の場所です。わたしたちは霊の中で神を礼拝してはじめて,一であることができます。わたしたちの霊は,今日のエルサレムです――ヨハネ4:23-24.詩第133篇。
7. 天的な霊の食物であるキリストは,わたしたちの霊の中にいます。わたしたちは彼を食べて,彼の中へと成長し込み,彼のからだを建造する必要があります――ヨハネ6:57, 63。
3. ローマ第8章におけるわたしたちの協力と神の活動
聖書:ローマ第8章
一. 三一の神は,受肉,人の生活,十字架,復活の手順を経て,わたしたちの霊の中に設置され,「科学的」な法則,命の霊の法則となりました――ローマ8:2-3, 10-11, 34:
A. 三一の神は,法則,自動的な原理として,わたしたちの内側で活動しています。これは,神のエコノミーの中の最大の発見の一つ,さらには最大の回復の一つです。
B. 命の霊(複合の霊)の法則は,わたしたちを罪と死の法則から解放し,わたしたちのために罪と死の問題を解決します――2節.ピリピ1:19。
C. わたしたちの霊の中に設置された,命を与える霊である手順を経た三一の神は,電気にたとえることができます。内側の神聖な電気の法則としての神の活動は,わたしたちの協力を必要とします――2:12-13。
二. わたしたちは,命の霊の法則として内側で活動する三一の神と協力する必要があります。それは,以下の方法でこの法則に「スイッチを入れる」ことによってです:
A. わたしたちは霊にしたがって歩き,霊の中で生きる必要があります――ローマ8:4, 16.参照, Iコリント2:14:
1. キリストを経験する秘訣は,わたしたちを力づけていっさいの事柄を行なわせる方の中にいることであり,彼の中にいる秘訣は,わたしたちの霊の中にいることです――ピリピ4:12-13, 23。
2. キリストの中に生きる実行は,わたしたちの霊の中で生きることです。ローマ人への手紙で,使徒パウロが強調しているのは,わたしたちが何であっても(2:29.8:5-6, 9),何を持っていても(8:10, 16),神に対して何を行なっても(1:9.7:6.8:4, 13.12:11),わたしたちの霊の中にいなければならないということです:
a. わたしたちは霊の中で生きるために,時間をかけて主を見つめ,祈ってイエスと交わり,彼の御顔の中に浸り,彼の美しさで浸透され,彼のすばらしさを輝かし出す必要があります――IIコリント3:16, 18.参照, マルコ1:35.マタイ14:23。
b. わたしたちは霊の中で生きるために,絶えず祈る必要があります――Iテサロニケ5:17.参照, ヨハネ20:22.哀3:55-56.ローマ10:12-13。
c. わたしたちは霊の中で生きるために,神聖な命の交わりの中にとどまり,神聖な光の中を歩く必要があります――Iヨハネ1:2-3, 6-7。
B. わたしたちはその霊の事柄を思い,思いを霊に付ける必要があります――ローマ8:5-6:
1. わたしたちは霊に注意し,霊の感覚に注意を払う必要があります。それは,聖霊を悲しませず,その霊を消さないためです――マラキ2:15-16.エペソ4:30.Iテサロニケ5:19。
2. 神の言葉は霊であり,命です。わたしたちは思いを神の言葉に付けることによって,思いを霊に付けることができます――ヨハネ6:63.イザヤ55:8-11。
3. 思いを霊に付けること,その霊の事柄を思うことは,主と一になって,キリスト・イエスの心の中で,召会とすべての聖徒を顧みることです――ピリピ2:21.1:8。
C. わたしたちは,その霊によって体の行ないを死に渡す必要があります――ローマ8:13.ゼカリヤ4:6.ガラテヤ5:16:
1. わたしたちはその霊に,わたしたちの内側の部分に居住し定住していただかなければなりません――ローマ8:9, 11。
2. わたしたちは召会生活にとどまる必要があります。そこでは平安の神が,サタンをわたしたちの足の下に踏み砕きます――16:20.12:1-2, 11。
D. わたしたちは神の子たちとして,その霊に導かれる必要があります――8:14:
1. その霊に導かれるとは,内側の油塗り,すなわち,内住する,複合の霊の動きと働きに注意を払うことです――Iヨハネ2:20, 27。
2. その霊に導かれるとは,わたしたちの霊の中の安息を顧みて,キリストの凱旋行進の中の捕虜として導かれることです――IIコリント2:12-14.7:5-6。
E. わたしたちは子たる身分の霊の中で御父に叫ぶ必要があります――ローマ8:15.ガラテヤ4:6:
1. わたしたちが「アバ,父よ!」と叫ぶ時(ローマ8:15),「その霊ご自身,わたしたちの霊と共に,わたしたちが神の子供たちであることを,証ししてくださいます」(16節)。
2. 「アバ,父よ!」と叫ぶことは,わたしたちと神との親密な関係の甘さを表現します――参照, マタイ18:3。
F. わたしたちはとりなす霊の中で,完全な子たる身分,すなわち,わたしたちの体の贖いのために,うめく必要があります――ローマ8:23, 26-27:
1. わたしたちがうめく中で,その霊もうめき,わたしたちのためにとりなします。
2. とりなす霊は,わたしたちが神の長子であるキリストのかたちに同形化されるようにと,わたしたちのために祈っています――28-29節。
G. わたしたちは神を愛し,キリストの愛に押し迫られ,拘束され,動機づけられ,強いられ,かき立てられ,推進されて,すべての事柄において,勝ち得て余りがある必要があります――31-39節:
1. 神を愛することによって,わたしたちは神の中にあるすべての豊富にあずかります――Iコリント2:9-10.参照, IIテモテ3:2-4。
2. わたしたちはキリストの愛に押し迫られて,わたしたちの愛であるキリストをもって,神と聖徒たちを愛する必要があります――IIコリント5:14。
三. 手順を経て究極的に完成された三一の神は,命の霊の法則の自然で自動的な力として,わたしたちの内側で以下の事を成し遂げます:
A. この力はわたしたちの心を神に傾けさせます――箴21:1.詩119:36。
B. この力はわたしたちを神に服従させます――ピリピ2:13。
C. この力はわたしたちに,神がわたしたちのために定めた良い働きを行なわせ,召会生活をさせ,イエスの証しを担わせます――エペソ2:10。
D. この力はわたしたちに,心を尽くし力を尽くして主のために労苦させます――Iコリント15:10.コロサイ1:28-29。
E. この力はわたしたちの奉仕を生きた新鮮なものにします――ローマ6:4.7:6.IIコリント3:6。
四. わたしたちが神聖な命の自動的な法則である内住の霊を享受することは,キリストのからだの中にあり,キリストのからだのためです。この享受には目標があり,それはわたしたちを神格においてではなく命,性質,表現において,神と同じにすることです――ローマ8:2, 28-29.12:1-2.ピリピ1:19-20。
4. ミングリングされた霊にしたがって歩く
聖書:Iコリント6:17.ローマ8:4
一. 最高の福音は,わたしたちが救われて,神とわたしたち,わたしたちと神が完全にミングリングされて一になり,一つの命と一つの生活を持つ程度にまでなることです――Iヨハネ4:15.ヨハネ15:4-5.ガラテヤ2:20.ピリピ1:19-21。
二. 正常なクリスチャンであるためには,三一の神の具体化である主イエスが今日その霊であり,わたしたちの霊に内住し,わたしたちの霊とミングリングされて一つ霊になっていることを,知らなければなりません――IIコリント3:17.Iコリント15:45後半.6:17。
三. 主と一つ霊であることが暗示するのは,わたしたちが彼の中におり,彼がわたしたちの中にいますこと,わたしたちと彼が有機的にミングリングされて命の中で一になっていること,わたしたちとキリストが一つのすばらしい,生きた実体であることです――ヨハネ15:4-5。
四. わたしたちの再生された霊と,わたしたちを再生した命の霊は,ミングリングされて一つ霊になっています。ローマ第8章4節の「霊」は,神の霊でありまたわたしたちの霊でもあるミングリングされた霊を指しています。
五. ミングリングされた霊にしたがって歩くことは,すべてを含みます――4節:
A. ミングリングされた霊にしたがって歩くとは,ミングリングされた霊の中で生き,行動し,活動し,振る舞い,すべてのことを行なうことです。
B. 霊にしたがった純粋な歩みは,霊にしたがって存在することです。
C. 御父は御子の中にいまし,御子はその霊であり,その霊はわたしたちの霊の中にいます。わたしたちはすばらしいミングリングされた霊を持っており,この霊にしたがって歩くことができます。
六. 霊にしたがって歩くことによって,わたしたちは命の霊の法則の働きと協力します――2節。
七. 命の感覚に従うこと,油塗りの教えに従うこと,霊にしたがって歩くことは,一つの事の三つの面です:
A. 命の感覚に従うことは,命としてのキリストと関係があり,命の事柄です――コロサイ3:4.ローマ8:6。
B. 油塗りの教えに従うことは,塗り油としての聖霊の油塗り,動きと関係があり,命の霊の事柄です――Iヨハネ2:27。
C. 霊にしたがって歩くことは,ミングリングされた霊にしたがったわたしたちの歩みに関することです。これは命の霊の事柄だけでなく,わたしたちの再生された霊の事柄でもあります――ローマ8:2, 4。
八. 究極的に,聖書はただ一つの事をわたしたちに要求しています。それは,わたしたちがミングリングされた霊にしたがって歩くということです――4節:
A. 聖書で最もすばらしい事柄は,神の霊がわたしたちの霊とミングリングされるということ,わたしたちがそのようなミングリングされた霊にしたがって生き,歩くべきであるということです。
B. すべてのことに対するかぎは,すばらしい霊の中にあります。彼はわたしたちの再生された霊の中におり,わたしたちの霊と一つ霊になりました――Iコリント6:17。
C. 霊の中に生きるとは,キリストにわたしたちを満たし浸透していただき,彼がわたしたちの全存在を飽和し,こうしてわたしたちを通して表現されるまでになることです――エペソ3:16-19。
D. ヨハネ第15章4節から5節の相互の住み合いは,主と一つ霊となることの実行です。
E. わたしたちは霊の中に生きる時,自然に十字架を負います――マタイ16:24。
F. わたしたちに起こるすべての事は,わたしたちが霊の中に生きているか,それとも自己の中に生きているかをテストします。
G. サタンを沈黙させる最上の道は,霊の中に生きることです――啓12:11:
1. サタンが侵入することができない唯一の場所があります。それはわたしたちの霊です。
2. わたしたちがサタンの権威の下にいるかどうかは,わたしたちが行なう事によって決定されるのではありません。むしろ,それは,わたしたちが霊の中にいるか,それとも肉の中にいるかによって決定されます――ガラテヤ5:16-17。
3. ミングリングされた霊の中にとどまっている限り,わたしたちは守られ,サタンはわたしたちになすすべはありません――Iヨハネ5:4, 18-21。
H. わたしたちが霊にしたがって歩き,思いを霊に付けるなら,自然にその霊によって体の行ないを死に渡します――ローマ8:4, 6, 13。
I. 実行上,キリストをわたしたちのパースンとすることは,わたしたちがミングリングされた霊に完全にしたがって存在することです――エペソ3:17前半.Iコリント6:17.ローマ8:4。
J. わたしたちは霊にしたがって歩くことによって,自らを神聖な分与の「シャワー」の下に保ちます。わたしたちはミングリングされた霊にしたがって歩けば歩くほど,ますます三一の神の分与の下にとどまります――10, 6, 11節。
K. ミングリングされた霊にしたがって歩くなら,わたしたちは完全に神の子たちとなります。そしてそのような子たちとして,わたしたちはキリストのからだの肢体となり,召会生活,神の王国の中に生きます――14節.12:4-5.14:17。
九. ミングリングされた霊にしたがって歩く人は,自分の力によってではなく,霊によってすべてのことを行ないます――ピリピ3:3.ゼカリヤ4:6:
A. ミングリングされた霊以外の事にしたがったどのような生活も歩みも,肉にしたがった生活と歩みです――ローマ8:4-5。
B. もしミングリングされた霊にしたがって歩かないで,努力して聖書にしたがって歩くなら,わたしたちは実は肉にしたがって歩き,自分の力で聖書の言葉を守ろうとしているのです――8節。
C. ミングリングされた霊にしたがって歩くなら,わたしたちは,神のみこころにしたがって神を喜ばせることを行なうだけではありません。わたしたちはまた,わたしたちの霊と共にいますその霊である神ご自身によって,神がわたしたちに行なってもらいたい事を実行します。
D. わたしたちがミングリングされた霊にしたがって歩く時はいつも,キリストが生かし出されます。なぜなら,彼はわたしたちの霊の中にいるからです――ピリピ1:19-21前半.IIテモテ4:22。
十. 神の願いによれば,信者としてのわたしたちの生活は,霊的で,「聖別された」,「勝利を得る」生活だけではありません。それは,ミングリングされた霊にしたがった歩みである生活です――ローマ8:4:
A. そのような生活は,わたしたちの肉,自己,天然の命の地位と機能を失わせます。
B. そのような生活は,手順を経た三一の神に,わたしたちの中で完全な立場を得させます。それは,わたしたちが彼に占有され,彼に満たされ浸透されるためであり,完全に彼と一になって,彼の完全な表現となるためです――エペソ3:16-19。
5. 命としての三一の神を三部分から成る人の中に分与する
聖書:創1:26.2:7.ローマ9:21, 23.8:10, 6, 11.10:9-13
一. 神の究極の目的は,ご自身をわたしたちの中に造り込んで,彼がわたしたちになり,わたしたちが彼になるまでに至ること,彼とわたしたちが命,性質,かたちにおいて同じになるまでに至ることです――ヨハネ1:12-13.2ペテロ1:4.IIコリント3:18:
A. 神のエコノミーは,ご自身を人とならせ,彼が創造されたわたしたちを,命と性質において神の子供たちとならせ,彼が「人化」されたのは,わたしたちを神格においてではなく命と性質において「神化」するためです。彼は「人化」された神であり,わたしたちは「神化」される人です:
1. 神は来られて人と成り,受肉によってご自身を「人化」しました――ヨハネ1:1, 14。
2. 今や神はわたしたちに彼の命にあずからせ,わたしたちを「神化」することができます――3:15。
3. このようにして,神とわたしたちは一になり,一つの命と一つの生活にあずかります――6:57。
B. わたしたち,神の子供たちは,神によって再生されて,神の命と性質を持ち,こうして神と同じになります。最後に,神とわたしたちはみな神・人になります――ローマ8:29.ヘブル2:10-11。
二. 三一の神は三部分から成る人を創造し,命としての彼を入れる生ける器としました。それは,彼が人性の中でご自身を表現するためです――創1:26.2:7.ローマ9:21, 23:
A. 聖書の基本的な教えは,わたしたちが神のかたちに創造された器であり,神を受け,神を入れ,神と一になるということです――IIコリント4:7。
B. 人が神のかたちに創造されたのは,命としての神を受け,命としての神を入れ,命における神の複製,複写となるためです――ヨハネ12:24。
三. ローマ第8章は,聖書の中で最も深遠な章と言うことができます:
A. この章が深遠であるのは,神が三一(父,子,霊)であり,三一の神がご自身を,わたしたちの三部分から成る存在の中に造り込んでいるという啓示においてです――11節。
B. わたしたちがローマ第8章で見るのは,神格の三一であり,三一の神が経過した手順であり,わたしたちの霊的な経験の明確な展望です――2-30節。
四. 神聖な啓示の中心路線は,神のエコノミーと神の分与を明らかに示すことです。神の分与とは,ご自身をわたしたちの中に置いて,内なる命の法則とすることです――Iテモテ1:4.エペソ3:9.ローマ8:2.ヘブル8:10:
A. 手順を経た三一の神は,今や究極的に完成された,すべてを含む霊であり,法則としてわたしたちの中に入りました――ローマ8:2。
B. 命の法則によるその霊の働きを通して,神聖な命の豊富がわたしたちの中に分与されます。
五. ローマ第8章は,どのようにして三一の神(父,子,霊)がご自身を命として,わたしたちの三部分から成る存在(霊,魂,体)の中に分与するかを明らかに示しています――2, 6, 10-11節:
A. 11節には,三一の神と,彼の分与のために必要な手順と,ご自身を命として信者たちの中に分与することがあります。
B. 10節,6節,11節を一緒にすると,わたしたちの霊が命であることと,霊に付けられたわたしたちの思いが命であることを見るだけでなく,この命がその霊を通してわたしたちの死ぬべき体に与えられることをも見ます:
1. 三一の神がわたしたちの霊の中に分与するのは,その霊が命としてのキリストをもって(コロサイ3:4),わたしたちの霊を再生し(ヨハネ3:6),わたしたちの霊を命とすることによってです――ローマ8:10。
2. 分与する神は彼の分与を,わたしたちの魂の主導的な部分である思いに拡大し,わたしたちの魂を命とします――6節。
3. 手順を経た三一の神の三一の分与は,内住の霊が,わたしたちの魂を経過して,わたしたちの体の中に命を分与することによって,さらにわたしたちの死ぬべき体の中に浸透します――11節。
4. 神聖な分与は,わたしたちの三部分から成る存在(霊,魂,体)に浸透して,すべての部分を生きたものとし,わたしたちを三つの部分すべてにおける死から救います。
六. 命としての三一の神をわたしたちの三部分から成る存在の中に分与することは,彼の義に基づいており,彼の聖を通してであり,彼の栄光に至ります――1:17.8:10.6:19, 22.8:18, 21.9:23:
A. 三一の神の分与は,神の義に基づいています――5:17:
1. ローマ人への手紙で,義は神の分与の基礎です――8:10。
2. キリストの死の目的は,神の義の要求を満たし,神がご自身を命としてわたしたちの中に分与することができるためでした――3:21, 25-26。
3. 神の義は,キリストの死とわたしたち自身の死を要求します。神聖な分与を経験したいなら,わたしたちは神の御前で,十字架につけられた地位に立たなければなりません――6:6。
B. 三一の神の分与は,彼の聖を通して起こります――1:4:
1. 神の聖は彼の分与の過程と関係があります。
2. キリストの死は義のためですが,キリストの復活は聖のためです:
a. 聖別は復活の過程を通して起こります。
b. 復活したキリストは,わたしたちの中に入って来る時,彼の聖をわたしたちの中に分与します。
c. わたしたちの内側の復活したキリストは,わたしたちを生かす聖の要素です――6:19-23。
C. 三一の神の分与の結果は,栄光,すなわち神の表現です――8:18, 21:
1. 神の分与の目標は,栄光,すなわち,召会の中での神の表現です。
2. 命としての三一の神を分与することの究極の目標は,神がキリストのからだを通して表現されることです――エペソ3:16-21。
3. ローマ第8章における神聖な分与の経験と享受は,ローマ第12章のからだの生活を生み出します。
七. 命としての三一の神の分与を経験する道は,わたしたちの全存在を主に開いて,彼の御名を呼び求めることです――10:9-13:
A. クリスチャン生活で,自分を主に開き続け,主の御名を呼び求めることによって,絶えずその霊を受け続けることほど重要なことはありません――ガラテヤ3:2, 5.ローマ10:13。
B. わたしたちは主を愛し,自分を主に開き続け,主がなしたいすべてのことを行なう機会を主に与える必要があります――マルコ12:30.Iコリント2:9.エペソ3:16-17前半。
6. 命の霊の法則の形成する機能と神のエコノミーの目標
聖書:ローマ8:2, 26-29
一. 神のエコノミーにおける目標は,多くの子たちを生み出して神の団体的な表現とすることです――ローマ8:14.ガラテヤ3:26.4:5-7.ヘブル2:10.啓21:7。
二. 命の霊の法則の機能は,わたしたちを形成すること,すなわち,神の長子であるキリストのかたちに同形化することです――ローマ8:2, 29:
A. あらゆる種類の命には四つの基本的な特徴があります。それは,命の本質,命の力,命の法則,命の形です。
B. 命の霊の法則は命の形を規制します。この命の霊の法則の形成する機能は,命の成長を必要とします。なぜなら,命の霊の法則は,命が成長してはじめて機能するからです。
C. 命の霊の法則による形成は,ローマ第8章29節の「同形化」を意味します。
D. 最後に,命の霊の法則の機能を通して,わたしたちはみな円熟した神の子たちとなり,それによって神はご自身の団体の表現を得ます――啓21:7, 10-11。
三. 神が彼のエコノミーを完成するのは,ご自身を命の霊の法則としてわたしたちの中に分与し,わたしたちを神の長子の複製とすることによってです――ローマ8:2, 29:
A. 神の長子は,神の多くの子たちという大量の複製の原型,標準のモデルです。神の多くの子たちは神の長子の多くの兄弟たちであり,神の長子のからだを構成し,神の団体的な表現とならせます――1:4.8:14, 29.12:4-5。
B. 神がわたしたちを神の長子の複製とする道は,彼の生ける原型である長子を,わたしたちの中に造り込むことです――エペソ3:16-17前半。
C. 神の長子は,内住している原型であり,命の霊の法則として,自動的にわたしたちの内側で働いて,わたしたちを彼のかたちに同形化します――ローマ8:2, 29。
D. 一人の新しい人であるキリストのからだは,神の長子の団体の複製です――12:4-5。
四. 同形化は,造り変えよりさらに高いものであり,命の形成を意味します――8:29.12:2:
A. 造り変えは内側のものであり,本質の事柄です。同形化は外側のものであり,形状の事柄です。
B. 造り変えは形状の変化と関係がありますが,同形化はこの形状があるかたちに,すなわち,神の長子であるキリストのかたちに形成されることと関係があります。
五. 神聖な命がわたしたちの内側で成長してわたしたちを造り変える時,命の霊の法則が自然に機能して,わたしたちを神の長子であるキリストのかたちに同形化します――8:2, 29:
A. 神はわたしたちが御子のかたちに同形化されるようにあらかじめ定めました。それは,御子が多くの兄弟たちの間で長子となるためです――エペソ1:5.ローマ1:4.8:29:
1. この世の基が置かれる前から,神はわたしたちが御子のかたちに同形化されるようにあらかじめ定めました。これは,同形化がわたしたちの運命であることを意味します。
2. わたしたちが神の長子,すなわち,最初の神・人であるキリストのかたちに同形化されるべきであるのは,わたしたちが一組の神・人となり,神格においてではなく、命、性質において彼と全く同じになるためです――Iヨハネ3:2。
3. 同形化を通して,神は多くの子たちを伴う長子の団体の表現を得て,彼の永遠の目的を完成します――エペソ3:11。
B. 神の長子のかたちに同形化されるとは,自己の様から,すなわち自己の表現,外観から,命の中で救われることです――ローマ5:10:
1. キリストが神の具体化また表現であるように,自己はサタンの具体化また表現です――マタイ16:21-24。
2. 自己の表現は自己の様です。わたしたちはみなそのような表現から,キリストの命の中で救われる必要があります。
3. 自己の様から救われて,神の長子であるキリストのかたちに完全に同形化される時,わたしたちは実際において神の子たちとなり,あらゆる面で神の子たちの外観を帯びます――ヘブル2:10。
C. 神の長子のかたちに同形化されて神を団体的に表現するために,わたしたちは特異性から救われる必要があります――Iヨハネ3:2:
1. 特異性は,天然の命の最終の表現であり,わたしたちのねじ曲がった特性です。
2. わたしたちの特異性は,わたしたちがキリストをさらに豊富に経験することを妨げ,キリストを生きることを妨げ,キリストのからだとして建造されることを妨げます――エペソ3:8.4:16.ピリピ1:20-21前半。
3. わたしたちの内側でのキリストのための立場は,わたしたちの特異性によって狡猾に,隠された方法で奪われ,それによって占有されてきました。ですから,特異性はわたしたちの中にいる恐るべき反キリストです。
D. 神の長子のかたちに同形化されようとするなら,わたしたちはキリストの復活の力によって,キリストの死に同形化される必要があります――ピリピ3:10:
1. キリストの死は原型であり,わたしたちはその中で,神の長子である彼のかたちに形成されていきます。
2. もしキリストの死に同形化されないなら,わたしたちはキリストのかたちに同形化されることはできません。
3. わたしたちは造り変えと同形化の過程にある時,キリストの死に同形化されていきます。
E. その霊はわたしたちのためにとりなし,すべてがわたしたちのために共に働いて,わたしたちは長子のかたちに同形化されます――ローマ8:26-29:
1. その霊がわたしたちのためにとりなすのは,わたしたちがキリストのかたちに完全に同形化されるためです――26-27節。
2. キリストは型です。その霊は,わたしたちに起こるすべてのことで,わたしたちをこの型の中に,神の長子のかたちの中に入れるようにと祈っています。
3. 父なる神には主権があり,すべてのことを案配し,何がわたしたちのために最上であるかを知っています。父なる神はその霊のとりなしに答えます。それは,すべてを共に働かせて益とすることによってです。それは,わたしたちが神の長子のかたちに同形化されて,三一の神の団体的な表現となるためです――28-29節。
