第三章 子は三一の神の具体化である/第三章 参考文献「子は霊である」

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第三章 参考文献

子は霊である(補足参考文献)

 もう一つの例を挙げましょう。ヨハネによる福音書第十四章と第十六章に、聖霊を賜わる問題があります。わたしたちはそれを読む時、主イエスの約束に注意する必要がありますし、この中に特別の事実があるかどうかに注意しなければなりません。
 ヨハネによる福音書第十四章十六節から二〇節は言います、「わたしは父にお願いしよう.そうすれば、彼はあなたがたに別の慰め主を与えて、いつまでも、あなたがたと共にいるようにしてくださる。それは実際の霊である。世はその方を受けることができないそれは、世が彼を見ないし、知りもしないからである。しかし、あなたがたは彼を知っている。彼はあなたがたと共に住んでおり、あなたがたの中におられるようになるからである。わたしは、あなたがたをみなしごのままにはしておかない。わたしはあなたがたに来る。もうしばらくすると、世はもはやわたしを見ない。しかし、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きるようになる。その日には、わたしがわたしの父の中におり、あなたがたがわたしの中におり、わたしがあなたがたの中にいることを、あなたがたは知るであろう」。この中にはどんな事実があるでしょうか? この数節の言葉の前半では「彼」という言葉を用い、後半では「わたし」という語を用いています。代名詞が代わっています。これは、「彼」から「わたし」に代わっているという事実です。
 聖書を読む四つの基本原則にしたがって見ると、この段落はどういう意味でしょうか? 第一は事実の発見で、「彼」が「わたし」に代わっています。第二に、わたしたちはこの事実を記憶します。第三に、分析します。ここには二人の慰め主がいます。主は言われました、「わたしは父にお願いしよう。そうすれば、彼はあなたがたに別の慰め主を与えて」。「別の慰め主」の「別の」という意味は、第二のということです。「彼はあなたがたに別の慰め主を与えて」ということは、父があなたに第二の慰め主を与えてくださるということです。もし第二の慰め主がおられるなら、必ず第一の慰め主がおられるはずです。
 最初にまず断定できることは、ここには二人の慰め主がおられるということです。主の思いは、あなたがたはすでに一人の慰め主を持っている、今その上にもう一人与えよう、ということです。この第二の慰め主はどのような方でしょうか? 「彼は・・・・・・いつまでも、あなたがたと共にいるようにしてくださる」。この彼とは誰でしょうか? 主イエスは言われました、「世が彼を・・・・・・知りもしない・・・・・・しかし、あなたがたは彼を知っている」。なぜでしょうか? 「彼はあなたがたと共に住んでお・・・・・・るからである」。彼はずっとあなたがたと共におられます。その方をこの世は受けることができません。そのうえ彼を見ることもしません。あなたがたはどうでしょうか? あなたがたは彼を見、彼を知っています。なぜあなたがたは彼を知っていると言うのでしょうか? それは、彼がずっとあなたがたと共に住んでおられるからです。
 主は言われました、「彼はあなたがたと共に住んでおり、あなたがたの中におられるようになるからである」。この「彼」が用いられているのは、ここまでです。次の節は言います、「わたしは、あなたがたをみなしごのままにしておかない。わたしはあなたがたに来る」。これを少し分析してみますと、この「彼」は「わたし」であり、「わたし」は「彼」なのです。言い換えるなら、主イエスが地上に生きておられた時、主は慰め主でした。聖霊は主の中におられ、主はわたしたちの慰め主となっていました。主が地上におられた時、聖霊は彼の中におられました。彼と聖霊は一つでした。こういうわけで主は、弟子たちは彼を見、彼を知り、彼はいつも彼らと共に住んでおられる、と言われたのです。
 今はどうでしょうか? 主は次のように言っておられました、「ほかの慰め主が来るであろう。わたしは死に、復活し、戻って来るであろう。神が聖霊を賜わるであろう」。どのようにしてでしょうか? 主は聖霊の中で再び彼らの所に来られます。主は彼らをみなしごのままにしておかれませんでした。しばらくの後、彼らはもはや主を見なくなりました。しかし、その後、彼らは再び彼を見ます。そして彼は彼らの中に住みます。十七節は、「彼は・・・・・・あばたがたの中におられる」と言います。それから二〇節は、「わたしがあなたがたの中にいる」と言います。ですから、後半の「わたし」は、前半の「彼」です。代名詞が代わっているのを見れば、この二人の慰め主の違いを見ることができます。前半では、聖霊がキリストの中におられることを言います。後半では、キリストが聖霊の中におられることを言います。「彼」は、キリストの中におられる聖霊です。「わたし」は、聖霊の中におられるキリストです。聖霊とはどなたでしょうか? 聖霊は主イエスの別のかたちです。御子は、御父の別のかたちです。同様に、聖霊は御子の別のかたちです。かたちが変わっただけにすぎません。

(ウオッチマン・ニー, ウオッチマン・ニー全集第48巻第9章「聖書を読む」,190-193)

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